私が入社して2年目に突入したころ同時期に数人の同期が仕事を辞めていきました。
その後1、2年の間にも何人も辞めていき、もう今となっては辞めた同期全員の名前すら思い出せません。(薄情)

彼らは口を揃えて
「月50万くらいもらえる仕事見つけたわ」
「友達が○○(大体アパレルか謎の飲食店など)で毎月50万稼いでて誘われたんだよね」
「地元で○○(漁師とか農業系)やってる奴が50万くらい稼げるって言ってたから地元帰るわ」
などと言いながら辞めていきました。

彼らは同じ職に就いたわけでも結託して会社を辞めたわけでもありませんが何故か全員が50万円というワードを出してきたのです。(全員は誇張かも)
とにかく仕事の中身より”50万円”っていうのを多く聞いていたのでそればっかりが頭に残っています。

なんというか私をはじめとして学の無い人間は50万円というのが一つの境になるのかもしれませんね。
50万円っていかにも手が届きそうですし、当時私や彼らの年収は350万円ほどだったので魅惑的に見えたのかもしれません。
「50万円なんか少ねーよ」っていうブルジョアな方もいると思いますが毎月50万円稼げるってなかなか胸を張れることだと思います。
現に今の私は休日出勤や残業を頑張るかボーナス月でもない限り50万を超えることはありません…。

そんな彼らが今、どういう状況なのかは不明ですが先日興味深い話を聞きました。
ショップの店長だかなんだかになると言って辞めていった同期の一人が職を転々としたあげく元のサヤに戻ろうと我が社の社会人採用試験を受け続けているということでした。
受け続けているということは…まあ結果はお察しの通りです。
私はその彼とちょっとだけ仲が良くてたまに飯とか食べに行ったりしてました。
辞める直前も少し話をしていて私は若干寂しい気持ちもあったのですが、何故か奴はその時にはもう成功者にでもなったつもりで上から目線で接してきたので最悪の印象を抱いたまま別れることとなりました。
案の定その彼も50万教の熱心な信者でした。
我が社は典型的な年功序列型(と、ちょっとの頑張り)で昇給していく古の体質を保持した企業なので社会人採用と言っても新卒とあまり変わらない程度の給料しか出ないのです。
それなのに毎年受け続けるということは…まあお察しの通りです。(2回目)
私は話を聞いた瞬間「ざまあみろ!」と思ったのですが(今もちょっと思っ)、と同時に少し悲しい気持ちにもなりました。
私がいまさら新卒と同じ条件でしかも同じ仕事をしろって言われたら発狂するかもしれません。子持ちですが真剣に転職を考えます。
それくらいきつくてワリに合わない仕事だと思っています。(下っ端は責任がないのである意味気楽ではありますが)
少しづつでも昇格することでやりやすくなってくるという未来が見えたからこそ頑張れたのです。
それなのに「自分と同い年の彼が新卒の待遇を知りつつ前に勤めていたこの会社を受け続けているんだな」と思うとやるせない気持ちになってきます。

「アメリカでは一度退職し経験を積んで戻ってくる人間を重宝する」みたいな話を聞いたことがあります。
もちろん後に続くのは「日本は出戻りを嫌うから遅れている」的な。
このミクロな問題をマクロな視点で考えているわけではありませんが、出戻りが許される人って本当に優秀な人だけだと思うんですよね。
特に私が就いているような、言い方は悪いですけどやり方を覚えたらあとはひたすらミスなくそれを行い続けるっていうタイプの仕事では優秀な人材よりも(形だけでも)忠誠心みたいなのが求められている気がします。(適正とかありますけど)
つまり出戻りなんてのを許すのはご法度なんですね。良いか悪いかは別にして。

10年以上かけてちまちまと昇格、昇給していった私は昨年の年収が640万円になりました。
ようやく「50万円もらえる」と喜んでいた彼らに年収換算で追いついたわけです。
でもこの50万円の質は全く違うものです。
資金力の少ないデイトレーダーが日銭を稼いで命をつないでいくのと莫大な資金力で配当だけで食っていける人くらい違うと思っています。
もちろん彼らが前者で私は後者のつもりです。

今になってみると20代前半なんていくらでもやり直せそうな気がしますが個人の能力次第ってことなんでしょうね。
1度の挑戦(良い言い方)が人生をここまで変えるとは彼も思わなかったでしょう。(もしかしたらおう歌しているのかもしれませんが)
凡人であればあるほど人生において何かに挑戦できる回数というのは思った以上に少ないのかもしれません。
なんてことを考えてしまいました。



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